サウンドトラックを君に...

   土曜日の夕刻である。
   駅のホーム。
  ホームに女を残して、電車の中から男が微笑み掛ける。女は応えて手を振る。
    女は笑っていただろうか?後ろの私から彼女の顔を見る事は出来なかった。
    普段は別段思う所の無い場景であるのだが、今日は何故だろう。微笑ましさと儚さが湧いて来て、じ~ん、とした。
    解答は得ている。私の耳元でスチュワート・マードックが囁く様に歌っていたからだ。彼の声をもって、映画の1シーンが完成した。
    映画ってリアリティを追求しがちなジャンルであるのに、何故にBGMというノンリアリティを混在させるのだろう。いや、舞台装置のみがリアルで、そのなかでノンリアルを繰り広げるのが映画だからいいのか。ま、どーでもいいや。
    ベルセバといえば、新譜がダンス寄り過ぎる事、女性の声が凡庸である事で私の評価を下げた。今日の事で評価が変わる事は無いが、"音楽が日常に彩を加える"というのは、どうやら本当らしい。


書籍 『一台の黒いピアノ...』

    シャンソン歌手のバルバラ(Barbara)がどうしても好きだ。彼女の震える喉から発せられる芯のある声が好きだ。彼女の紡いだ、聴く者の魂に指先で触れる様な旋律が好きだ。彼女がピアノの前に座る時、その凛とした佇まいが好きだ。だが、何より好きなのは彼女の目だ。陶酔しているのとは明確に異なるが、こちらを見ている様でいて見ていない。何か異次元が彼女には見えていて、そこに向かって歌っているかの様なあの目だ。
    今回私が読んだ、『一台の黒いピアノ...』は、バルバラが自らの死を前に、喪に服しながら記した雑筆を書籍化したものである。
    幼少期の、ユダヤ人の宿命たる戦時下の逃走の日々の記憶から、自作自演歌手として名声を得た後の事柄まで幅広く語られている。
     注目すべきは、「ゲッティンゲン」「ナントに雨が降る」等の傑作誕生の経緯が明かされている事だ。須らく、作品はそれ単体で完成されて然るべきで、評論やら、誕生秘話やらで価値が左右されては本末転倒の事態だが、恋とは一様にそういうものである。漠然と「好き」では満足出来ず、興味、羨望、探求、猜疑、詮索、そして破滅を辿る。そう、バルバラの作品に恋しているのだ。ただこの場合、相手の人格は己と同一化されている事が多いのと、そうでなくとも、対象に逃げられる心配はないので飽きる迄探求の旅に出れるのだ。
   雑筆の数々は、バルバラの追想から歴史の断片を浮かび上がらせ、それだけで価値を持つ物だが、そこより見えて来るのはバルバラの愛情の深さ。そして、その複雑さ。祖母、兄、弟、妹、恋人、音楽で知り合った人々、そして、父と母。一言で語り尽くせぬ思いを抱えて、その全てに愛を注いだ。信念を貫けばこそ、等と簡単に言い切るのは失礼に当たる程の激動の人生を経て、果たしてどれだけの人間がそれを出来るのか。
    私を恋に落とした"あの目"が見据えていたモノが、朧げながら私にも見えた気がする。

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    バルバラ(Barbara)をご存知無い方は一度、Youtube等でご覧頂きたい。当時の映像も沢山在ります故。

ユニクロさん家のUTくん。

    ユニクロで買い物でもしてみようと、何が欲しい訳でもなく漠然と思ったので(ユニクロに行く時は大概そうだが)、予習を兼ねてユニクロのサイトを開く。

    STARWARSのUT。欲しいけど着れない。
    手塚治虫のUT。欲しいけど着れない。
    松本大洋のUT。欲しいけど着れない。
    タンタンのUT。欲しいし着れそう。

    よし、買いに行くか。

    タンタンの冒険と云えば、2011年に巨匠スティーブン・スピルバーグが実写映画化して、非常に残念な結果を晒し果てた記憶が新しい。されとて、原作『タンタンの冒険』シリーズは今も尚、私の幼少期より特異な存在感を放ち続けて止まない。
    今でも不思議なのは、私の家に並んでいた絵本のラインナップのセンスの良さなのだ。『タンタンの冒険』をはじめ、『もぐらくん(クルテク)』シリーズ、『ぐりとぐら』、『モチモチの木』、『しろくまちゃんのほっとけーき』、『三びきのやぎのがらがらどん』等の名作揃いであった。
    2つ違いの兄が此等を読んでいたかどうかは、話をした事が無いので知り得ないが、第二子の私の為に買い集めたとは思い難いので、兄の誕生に則して用意したのだろう。         母親は保育士の免許を取得しているので、名作と呼ばれる絵本を片っ端から集めたのか。それとも、絵本の本質を感じとる知的な女性だったのか。同じ屋根の下で10数年共に暮らしていながら、両親の一面しか知らなかった様な気がしてならないとの思いが、近年、加齢と共に強くなっている。
   素敵な絵本を与えてくれた両親へは大変感謝している。

    結局ユニクロでタンタンのUTを2枚購入した。己の年齢を鑑みて、プリントの控え目なものセレクトした。
    興味がある方は買いに行かれると宜しい。素敵なデザインが揃っている。


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焼肉丼「たどん」

    焼肉丼「たどん」で夜ご飯を食べる。

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  初の入店だった為、券売機のに貼り付けられたポップを頼りに"オススメ!"のスペシャル丼を注文。

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  並から特盛まで、同額で選択出来るとの説明を受け、少考の後特盛で注文。
 大は少を必ずしも兼ねない年齢なのは解っておるけど止められない。by.植木先生

  また行くか否かは定かではないが、連れ添い人が「安価で早急に肉が食べたい。」等といえば流れで、というところだろうか。

映画「蜩の記」

「蜩の記」を観る。
    義に生きる侍の気高い生き様、いや、死に様が語られている。
    岡田准一の瑞々しさも良かったが、やはり侍姿の役所広司は別格の存在感。そこには個人的思い入れが多分に、過分に含まれておる事は否定出来ない。

    考えてみるに、役所広司の時代劇にかつて駄作があったろうか?挙げてみよう。

・ 八丁堀捕物ばなし
・ 続続・三匹が斬る!
・ また又・三匹が斬る!

え、三匹が斬る!は1つで良いとな?
好きものは仕様がない。

    私が観たもの限定ではあるが、並べてみれば明らか。総じて名作ばかりではないか。

    「三匹が斬る!」で役所広司の演じた久慈慎之介というキャラクターを超える時代劇の登場人物は現在も尚、現れて居ないと思っている。後に調べるに、久慈慎之介は薩摩の出身という設定だそうで、私が惹かれたのも得心のゆくところ。役所広司はそういった役のバックボーンもしっかり把握して演じていたとしか思えない。あの鋭い眼光はそうでなければ出来ぬ筈だ。

    「蜩ノ記」の役所広司は、眼光の鋭さこそないものの、佇まいから凛とした侍の品格を漂わせている。はまり役といえる。

    でもやっぱり、また暴れて欲しいんだよなぁ。



    


  

祝「ばくおん!!」アニメ化!

    「ばくおん!!」のアニメ化が決定しました。

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  こんな漫画に迄アニメ化の話が及ぶなんて、脚本不足なんですかね。

    ともあれ、バイク関係のコンテンツが陽の目を浴びるのは素直に嬉しい事です。
    今回のアニメ化をきっかけにバイクに、特にMT車に興味を持つ人が増えて、購入まで至ってくれれば尚の事嬉しいです。  
     
     ただ、単純に漫画を動かすだけでは、現存のファンを納得させられはしないと思うのです。バイク乗りの"あるあるネタ"が主軸となるストーリーが持ち味の漫画ですから、バイク乗りの納得するこだわりが感ずられるアニメに仕上げて頂きたいのです。

    例えば、
1. 実音そのままのエンジン音を流用する。
2. メカの細かいディティールに手を抜かな          い。
3. 登場するバイクの説明を実車を交えて差し込む。
4. TZR 3MA のストーリーを外さない。

んー。大した事思いつかなかったです。
想像を超える出来を期待します。

    一般的認知度はまたまだ低いものの、バイク好きには知れ渡った漫画なので、警察、自治体と組んでイベントも開催したりしてます。

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   明日、5/24 は何と5回目にもなるイベントの開催日です。
    気になる方は行かれると宜しいかと。

電車通勤。

    いやぁ、今日も揺れておりますわ。阿呆の如く同じ場所を行ったり来たりしながら揺れておりますわ。最早テクノですわ。お経ですわ。修験道の火渡りですわ。埼玉在住都内勤務の中年サラリーマンに阿闍梨の称号を授けたい位ですわ。
    これ程、年がら年中365日朝から晩まで労働者を搬送しているのであるから、日本の経済は電車が動かしておるとの認識で宜しいですね。延いては、膨れ上がる国債と先行き不透明な不況も電車が素因との認識で宜しいですね。この際だから、現世界の森羅万象もそれとして、結論、電車は神です。うん。

    これは光明。己が人生がこんな腐れロータリーDaysに堕ち腐ったのも、全ては神の仕業である事は中二の夏から気付いてはいたものの、肝心の被告人が雲隠れでは手が付けられずにここ迄来てしまっていたのですからね。
    仏像?あれは厳として違います。心の情弱な人間に向けた、言わば入門編といえます。仮に世界中の仏像、偶像の類を全て壊して回ったところで、何も変わりません。現世界とはそれ程に強固であり、神は狡猾なのですよ。

    さて、どうやって積年の恨み晴らしたろうかしらんといざ取り掛かってみると、「これぞ!」といった方策が見つからず、悶々としておったのですが、何時また姿を消すか解らぬ狡猾なヤツの事。居ても立ってもおられず苦肉の策。踏み切りの傍に仁王立ちして「馬鹿野郎ー!」、「俺の青春を返せー!」、「人でなしー!」等と見当違いな事を心のままに叫んではみたものの応答無し。阿闍梨御一行様の冷たい視線を浴びるに終わったのでした。

    そんなこんなで近所でも名の通ったキチガイとしての確固たる地位を意に反して得、校区内の小学生に「電車のよっちゃん」等と脈絡の無い仇名を授けらるるに至って悦に浸り、神の事など全く忘れて日々を過ごしておりました。

    そんなある日の午後、落語家が壇上に正座し、とんちの効いた駄洒落で客を笑わすTVショーを眺めていたところ、「ティロリロリン。ティロリロリン。」と不快なアナウンス音と共に液晶の上部に電車脱線のニュース速報。そして再び光明。
    コール&レスポンスが通じないのならば、対話の芽は摘まれたも当然。しからば、強行手段に出るより他はあるまいて。大勢と戦う術は心得たもの。大学生の時分に自ら先陣を切って、デモ行進の企画運営をやって退けた事があるのですよ、ふふん。
    
    先ずは警察署に出向いて「置き石」の許可を取らねばならんのですが、円滑に話を進める為に計画書を作成してから行くのが筋かと思い直し、5W1H に基づいたレジュメを書き出してみて困りました。肝心の石が無い。

     神を穿つ石、いわばロンギヌスの槍な訳であるからして、そこいらで拾った様な小汚い石塊では格好が悪い。その前にそもそも置き石になり得るサイズの石が落ちていない。ホームセンターで家庭菜園用のブロックで妥協しようかとも考えたけれども、後後誰かが神を穿った男の話を書き下ろす時に、ドラマチック性に欠けていては可哀想だから意地でも天然の岩石を探す事に決めました。

    インターネットで調べるに、どうやら近隣地区には目的に適うだけの石を拾える川原等は無い様だったので、ここは一つ、人生の新たな門出を祝う意味を込めて観光を含んだ石拾いの旅行に出るのはどうだろうか?
    旅行の計画は心得たもの。学生の時分に先陣をきって新入生の歓迎会を兼ねた旅行を企画運営をやって退けた事があるのですよ。ふふふん。祝い旅。良い響きだ。祝い旅。

    それから二日間は仕事が休みだった事もあり家中でゴロゴロとテレビを見るともなく見て過ごし、その翌日書店に駆け込み旅行本のコーナーに直行。「ちゃらん」という何とも頼りがいの名前の雑誌を買うに至り帰宅。今月の集中特集 「絶対満足!カニバイキング」の稿を見進めていたのですが、あるお店の女将と思われる女性が、溢れんばかりのタラバ蟹の足をザルに乗せ、それを顔の側に寄せ、満面の笑みでこちらを見ておるのです。
    蟹、女将、蟹、女将。なめとんかこら。
    蟹、女将、女将、蟹。くらわすぞぼけ。

    普通に生きてて、これほどに不快な事もそうそうあるもんじゃない。「死ねっ!」っと雑誌を部屋の壁に叩きつけてそのまま、何だか手持ち無沙汰になった実感を初めて味わった気がし、「へぇ、この事をいうのねぇ。」と大きめの独り言。夜勤の仕事迄時間に余裕があった為、もう一眠りする事としたのです。

※電車の中で立っていられない、という事を書こうとしたらば、変に興が乗って稚拙な文体をまき散らしてしまった。
推敲はしないし、自身2度と読まないだろう。
テーマに沿るとはかように重要な事と知る。