ゲームを一切プレイせずにクリアする方法とは?

    昨日1日休日だった事もあり、前々から気になっていたゲーム「Bloodborne」をクリアする事にしました。


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   それも一切コントローラーに触れる事無く...
    ??????

    そう。実況動画です。
    
    発売を心待ちにしながら、金銭的、心情的なタイミングが噛み合わずにプレイを見送っていたタイトルだっただけに、夢中で観続けましたよ。そして遂にクリアー!
    
     もうお腹一杯です。
    2度とプレイする事は無い(いや、1度もプレイしてないけれども)でしょう。

    しかしどうなんですか。ゲームメーカー各社はこの状況をどう捉えておるんでしょう。
確実に売上に影響している事は素人の私から見ても明白ですし、現に私という購買者1名を失ったのは厳然たる事実。

    実況動画に対するゲームメーカーの対応は足並みが揃っておらず、大手で云えば

SONY:自由にシェアして構わないが、各ソ                 フトメーカーが公開禁止部分を設定出来る。
任天堂アフィリエイトプログラムを用意す                   るので、動画による収益もシェアしましょう。
セガ:一部オンラインゲームは認める。

    大雑把にこの様な状況だそうです。
そもそも、実況動画のアップ自体に違法性があるとされている中で、メーカーのこの様な対応は半ば白旗を挙げているとも言えます。

    私が家庭用ゲームを殆どやらなくなって、10年程経つのですが、その理由を実況動画の問題に直面して考え直してみると、インターネットの普及が弊害の冠たるものだと思うのです。

    かつてはゲーム内の悪の大王がプレイヤーの対戦相手でした。そこに他者の介入は一切無く、己の知恵と技で挑んでいました。それがどんなに愚かで遠回りな方法であるかに気づかずに。
    学校でゲームの話をしても、自分とさほど変らないレベルに安心し、「コイツには負けないぞ。」等とやる気を新たにしたものです。

    インターネットの普及後、ゲーム内に悪の大王より遥かに強い他プレイヤーが介入して来て、同じレベルどころかプロと名乗る連中まで現れました。
    最初は張り合ってみたものの、「こいつ1日中ゲームしかやってねぇんじゃねぇか?!」程の力の差を見せられるとヤル気も削がれ、ゲームをプレイする事自体に虚無感を感じてしまったのです。

  スマホのゲームも同様、「こいつ給料全額ガチャに廻してんじゃねぇか?!」程の財力を見せられると、これまたヤル気は削がれる訳です。

    ゲームは元来、手軽に遊べる娯楽であった筈で、娯楽以上でもなければ、それ以下でもないと思うのです。気軽に遊びたいのに、圧倒的力で挫折感を他者から味合わされるだけならば、わざわざゲームを手に取ろうとは、私の場合は思えなかったのです。

    グラフィックばかりが向上して想像力を働かせ難いとか、簡単なヌルゲーが増えたとか言われておりますが、ゲーム離れの本当の原因はそこではないと考えます。

    娯楽とは何であるのか?
    人生に於いてどういう位置付けに在るべきなのか?

    そもそも論に還ったゲーム作りが求められている気がしてなりません。

    
    

【結論】戦争を終わらせる為にはインドカレーを食べる事だ。

私の居住区内には数多くのインドカレー店が乱立しており、インド人が腕によりをかけ、本番のスパイスをふんだんに使ったカレーが提供されている様です。
ん?あ、私は未だに食べておらんのです。近い日時に行きたいと思っています。



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さて、そんなインドカレー店の店先を通りがかり、脳を直接刺激するスパイスの香りと共に思い出すのは、日系ペルー人の友達が放ったかつての言葉なのです。

「俺はインドカレーは絶対食べない!インド人はトイレでウンコした後、手で拭いて、その手で料理するんだ。テレビで観たんだ。食べたくないよ!」

その時の彼の真剣な眼差しに、笑って良いのか解らず、私は苦笑いでやり過ごしたのでした。

事実そういったトイレの方法がされているようですが、トイレ先進国我が日本に住むインド人が、ウォシュレット付きトイレに座りながら、手でお尻を洗い流すかは甚だ疑問です。今度食べに行ったら聞いて見ようかしら。

食べる食べないは個人の自由で好きにしたら宜しいですが、1つの情報、意見が伝達を繰り返す度に誤報、偏見の類に変型するのは恐ろしい事です。
私自身も「宜しくないなぁ。」と反省した出来事がありまして。

朝早く家を出ると、所謂西洋人がバックパックを背中に和かな顔で自転車に乗っておるのです。通りの奥様に「おはようごさいます!」などと声を掛けるなどもしながら。
私は思ったのです。「こいつはきっと悪い奴だ。裏で何か良からぬ事を謀っておるに違わん。」と。「金銭的余裕のある西洋人が、わざわざ日本に溶け込んで暮らす必要性はないのだ。裏が無くて何があるか。」と。

同じシチュエーションでも、後進国っぽい風体であったならば、全く別の感想を持っていたであろう事に気付いた時、「嫌なヤツやなぁ、俺。」と落胆。
全く持って一方的かつ、短絡的過ぎる貧困な発想。と言うよりむしろ危険思想の持ち主に他ならんじゃないか、俺は。

1人として同じ人間が居らんらしいとされている様に、同じ国の出身者にも個々の出生からのバックグラウンドがある訳です。
お金の無い西洋人もおるし、腐る程金持ちのシエラレオネ出身者も居るかもしれません。ウォシュレット無しでは用を足せないインド人も居るでしょう。

日系ペルー人の友達にも、そんなインド人しか勤めていないインドカレー店だと信じて、食べに行って欲しいのです。そこから世界平和が始まるやもしれません。

カレー店のインド人が帰国した際に、
「日本人はインドのトイレ事情を知っているにも関わらず俺達のカレーを食べに来てくれるんだ!良い奴等だぜ!え、ウォシュレット?ウンコを拭いた手を洗う機械だろ?インドにも欲しいねー!はははっ!」

等と言って回ってくれるかもしれないのですからね。



映画「チャッピー」

    配給会社ソニーピクチャーズの対応に避難集中の為、何かと話題の映画を鑑賞。

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  カットされるであろう場面は想像出来るし、当たり前にカットされるべきでは無いのだけれど、「そんなら観に行かねぇ!」って人がおるのは大変勿体無い事です。

    私的に面白い映画の条件とは、

・物語の時間的、内容的な収束と反比例して、個々の感情が複雑化して行く事。

と、思うのですが、見事に満たしてくれましたよ。ありがとう。

    過去のロボ映画、アニメへのリスペクトを感じさせるディティールを下地にアクション要素を絡ませながら、人間の強欲、ロボットの倫理問題、更に家族愛にまで言及しようとするのです。
    一番の強欲はブロムカンプ監督その人に間違いありません。
   それ所以に、全てを満足に描ききるには時間が足りなかったかもしれませんが、各テーマの配分が均等だった事で見事に補完されており、監督の才能を確信するところです。

   ケチをどうにかして付けるとすれば、

「毎度毎度、エピソード0を作るんじゃねぇ!その後が気になるじゃねぇか!」

って所でしょうか。
ある意味褒めてしまっていますが。

    ツァラトゥストラに抗い、新しい世界を彼等は見出すのだろうか?いや、最初から抗う意識などないのだから既に...

   




    
    

    


初投稿という野暮。

    他愛もない日々を、半ば徒然なるまま的に過ごしていると、そんな風でありながらも様々な衝動に駆られるもので、「はてなブログ」を始めつつある訳です。
    閲読意欲を削ぎかねない、統一感の欠けた内容になる事は明白。然しながら、その中に書く楽しみを味わいつつ、自省で覆い尽くされた表皮から、ぼんやりと光るモノを見つけられれば、見つけてくだされば満足できるでしょう。