【結論】戦争を終わらせる為にはインドカレーを食べる事だ。

私の居住区内には数多くのインドカレー店が乱立しており、インド人が腕によりをかけ、本番のスパイスをふんだんに使ったカレーが提供されている様です。
ん?あ、私は未だに食べておらんのです。近い日時に行きたいと思っています。



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さて、そんなインドカレー店の店先を通りがかり、脳を直接刺激するスパイスの香りと共に思い出すのは、日系ペルー人の友達が放ったかつての言葉なのです。

「俺はインドカレーは絶対食べない!インド人はトイレでウンコした後、手で拭いて、その手で料理するんだ。テレビで観たんだ。食べたくないよ!」

その時の彼の真剣な眼差しに、笑って良いのか解らず、私は苦笑いでやり過ごしたのでした。

事実そういったトイレの方法がされているようですが、トイレ先進国我が日本に住むインド人が、ウォシュレット付きトイレに座りながら、手でお尻を洗い流すかは甚だ疑問です。今度食べに行ったら聞いて見ようかしら。

食べる食べないは個人の自由で好きにしたら宜しいですが、1つの情報、意見が伝達を繰り返す度に誤報、偏見の類に変型するのは恐ろしい事です。
私自身も「宜しくないなぁ。」と反省した出来事がありまして。

朝早く家を出ると、所謂西洋人がバックパックを背中に和かな顔で自転車に乗っておるのです。通りの奥様に「おはようごさいます!」などと声を掛けるなどもしながら。
私は思ったのです。「こいつはきっと悪い奴だ。裏で何か良からぬ事を謀っておるに違わん。」と。「金銭的余裕のある西洋人が、わざわざ日本に溶け込んで暮らす必要性はないのだ。裏が無くて何があるか。」と。

同じシチュエーションでも、後進国っぽい風体であったならば、全く別の感想を持っていたであろう事に気付いた時、「嫌なヤツやなぁ、俺。」と落胆。
全く持って一方的かつ、短絡的過ぎる貧困な発想。と言うよりむしろ危険思想の持ち主に他ならんじゃないか、俺は。

1人として同じ人間が居らんらしいとされている様に、同じ国の出身者にも個々の出生からのバックグラウンドがある訳です。
お金の無い西洋人もおるし、腐る程金持ちのシエラレオネ出身者も居るかもしれません。ウォシュレット無しでは用を足せないインド人も居るでしょう。

日系ペルー人の友達にも、そんなインド人しか勤めていないインドカレー店だと信じて、食べに行って欲しいのです。そこから世界平和が始まるやもしれません。

カレー店のインド人が帰国した際に、
「日本人はインドのトイレ事情を知っているにも関わらず俺達のカレーを食べに来てくれるんだ!良い奴等だぜ!え、ウォシュレット?ウンコを拭いた手を洗う機械だろ?インドにも欲しいねー!はははっ!」

等と言って回ってくれるかもしれないのですからね。