電車通勤。

    いやぁ、今日も揺れておりますわ。阿呆の如く同じ場所を行ったり来たりしながら揺れておりますわ。最早テクノですわ。お経ですわ。修験道の火渡りですわ。埼玉在住都内勤務の中年サラリーマンに阿闍梨の称号を授けたい位ですわ。
    これ程、年がら年中365日朝から晩まで労働者を搬送しているのであるから、日本の経済は電車が動かしておるとの認識で宜しいですね。延いては、膨れ上がる国債と先行き不透明な不況も電車が素因との認識で宜しいですね。この際だから、現世界の森羅万象もそれとして、結論、電車は神です。うん。

    これは光明。己が人生がこんな腐れロータリーDaysに堕ち腐ったのも、全ては神の仕業である事は中二の夏から気付いてはいたものの、肝心の被告人が雲隠れでは手が付けられずにここ迄来てしまっていたのですからね。
    仏像?あれは厳として違います。心の情弱な人間に向けた、言わば入門編といえます。仮に世界中の仏像、偶像の類を全て壊して回ったところで、何も変わりません。現世界とはそれ程に強固であり、神は狡猾なのですよ。

    さて、どうやって積年の恨み晴らしたろうかしらんといざ取り掛かってみると、「これぞ!」といった方策が見つからず、悶々としておったのですが、何時また姿を消すか解らぬ狡猾なヤツの事。居ても立ってもおられず苦肉の策。踏み切りの傍に仁王立ちして「馬鹿野郎ー!」、「俺の青春を返せー!」、「人でなしー!」等と見当違いな事を心のままに叫んではみたものの応答無し。阿闍梨御一行様の冷たい視線を浴びるに終わったのでした。

    そんなこんなで近所でも名の通ったキチガイとしての確固たる地位を意に反して得、校区内の小学生に「電車のよっちゃん」等と脈絡の無い仇名を授けらるるに至って悦に浸り、神の事など全く忘れて日々を過ごしておりました。

    そんなある日の午後、落語家が壇上に正座し、とんちの効いた駄洒落で客を笑わすTVショーを眺めていたところ、「ティロリロリン。ティロリロリン。」と不快なアナウンス音と共に液晶の上部に電車脱線のニュース速報。そして再び光明。
    コール&レスポンスが通じないのならば、対話の芽は摘まれたも当然。しからば、強行手段に出るより他はあるまいて。大勢と戦う術は心得たもの。大学生の時分に自ら先陣を切って、デモ行進の企画運営をやって退けた事があるのですよ、ふふん。
    
    先ずは警察署に出向いて「置き石」の許可を取らねばならんのですが、円滑に話を進める為に計画書を作成してから行くのが筋かと思い直し、5W1H に基づいたレジュメを書き出してみて困りました。肝心の石が無い。

     神を穿つ石、いわばロンギヌスの槍な訳であるからして、そこいらで拾った様な小汚い石塊では格好が悪い。その前にそもそも置き石になり得るサイズの石が落ちていない。ホームセンターで家庭菜園用のブロックで妥協しようかとも考えたけれども、後後誰かが神を穿った男の話を書き下ろす時に、ドラマチック性に欠けていては可哀想だから意地でも天然の岩石を探す事に決めました。

    インターネットで調べるに、どうやら近隣地区には目的に適うだけの石を拾える川原等は無い様だったので、ここは一つ、人生の新たな門出を祝う意味を込めて観光を含んだ石拾いの旅行に出るのはどうだろうか?
    旅行の計画は心得たもの。学生の時分に先陣をきって新入生の歓迎会を兼ねた旅行を企画運営をやって退けた事があるのですよ。ふふふん。祝い旅。良い響きだ。祝い旅。

    それから二日間は仕事が休みだった事もあり家中でゴロゴロとテレビを見るともなく見て過ごし、その翌日書店に駆け込み旅行本のコーナーに直行。「ちゃらん」という何とも頼りがいの名前の雑誌を買うに至り帰宅。今月の集中特集 「絶対満足!カニバイキング」の稿を見進めていたのですが、あるお店の女将と思われる女性が、溢れんばかりのタラバ蟹の足をザルに乗せ、それを顔の側に寄せ、満面の笑みでこちらを見ておるのです。
    蟹、女将、蟹、女将。なめとんかこら。
    蟹、女将、女将、蟹。くらわすぞぼけ。

    普通に生きてて、これほどに不快な事もそうそうあるもんじゃない。「死ねっ!」っと雑誌を部屋の壁に叩きつけてそのまま、何だか手持ち無沙汰になった実感を初めて味わった気がし、「へぇ、この事をいうのねぇ。」と大きめの独り言。夜勤の仕事迄時間に余裕があった為、もう一眠りする事としたのです。

※電車の中で立っていられない、という事を書こうとしたらば、変に興が乗って稚拙な文体をまき散らしてしまった。
推敲はしないし、自身2度と読まないだろう。
テーマに沿るとはかように重要な事と知る。